目 次 |
1. 京間の畳目数のこと 2019/7/7・7/31・8/18・8/24 |
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1. 京間の畳目数のこと 2019/7/7・8/18・8/24 |
書籍代1巻(初版)の目次「48」(HPでは2012年「茶の諸々話15. 円能斎時代の畳に換算して、
本来の台子の据える位置を定量的明確に!!」)で記述した。その後、京間の畳目数について、深く研究してみると、現代の京間の誤った畳目数がなぜ生じたかが判明した。
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図1 | 写真1 |
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写真2 畳表の両端には、「小目」という小さい畳目が畳表の両端に綴じ目として作成されている。
| 写真3 畳表に畳縁を縫い付ける時、昔から用いられている縁幅を決める道具で、「けびき」、「わたり」、「こざる」などと呼ばれている。
この「けびき」は京都の畳屋でよく使われている道具である。
| 写真4 畳縁幅を決める道具で、畳表の自動機械織が生まれてから畳目が狭くなったため、
畳表縁の幅が自由にに変えられる道具。 |
畳表の畳目が、畳縁との関係でどのようにして決まってくるかを説明したが、
所詮、畳目が自動畳表織機で畳目が本来の畳目より狭くなったので、両端とも畳縁が畳目に合わない。 |
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写真5 | 写真6 |
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図2 | 図3 |
円能斎時代に女学校に茶道が取り入れられ、台子と居前の距離も狭められ、
貴人畳の縁から18目に据えられた。それに合わせた淡々斎好みの盆は、畳縁2目を加え、畳目20目の大きさの大円盆となった。
このことによって、円能斎時代の畳目は約1.5pといえる。厳密にいえば、
3尺1寸5分の幅に64目(縁内60目)の畳目が存在することになるので、畳目1目は0.492寸(1.49p)となる。
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図4 |
中村式の京畳の畳目62目は、茶の湯に関して意識して作られてはいない(中村氏、山園氏談)。ただ京畳の畳表を自動織機の都合上、62目として制作されたものであるので、 中村式京畳は本来の茶の湯に用いる京間畳目ではない。 茶の湯に用いる京畳が縁内64目として、茶の湯の畳表用として依頼した藤本氏にその根拠を尋ねたら、家元の業躰たちの話から京間縁内は64目としたとのことであり、業躰の64目という根拠は不明で、 ただ業躰の話からそう思ったとのことであった。「業躰」が言ったということで、64目の正当性を主張したようにも受け取れた。 また藤本氏は、独自のホームページ上で、大和六十余州であるから、利休時代から畳は64目となっていると言及していたので、藤本氏の取材の中で、「大和六十余州は大和六十四州ではない」と言ったら、 64余州と畳目64は語呂合わせとも言及した。誠に無責任な畳目64の主張であった。 この点で、藤本氏の主張する畳目64の正当性は崩れることになった。 ここで、中村式の京畳の畳目62目と藤本氏の京畳64目とを比較し、その二つの畳表の畳目が、茶の湯に用いるには問題がある点について記述してみよう。 |
写真7 |
畳縁が0.95寸で縫われているが、本来は1寸である。畳職人の畳縁を縫う時に用いる道具は、
0.95寸と1寸の畳縁を決めるサイズのものが備わっているが、
現在では、1寸のサイズのものは畳職人はほとんど用いることがなく、0.95寸を用いている。このことは、機械織による畳表の目幅が細くなってしまったことから、
通常の縁を決める時は0.95寸を用いるようになり、本来の1寸の畳幅を決める伝統的な畳縁は、道具の中で現在でも生き続けているが、現実には、1寸幅の縁を職人の世界では用いろことはほとんどなく、
縁幅1寸のことも忘れられようとしているのが現実である。
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写真8 3尺1寸5分の京間畳に畳表畳目68目の畳表を取り付け、畳縁内64目となる畳 |
写真9 畳縁に沿う畳目は、縁が畳目に被さり、畳目1目の姿を現していない。両畳縁とも同じで、縁内64目とは言えない。 |
次の写真は、畳の両縁部分の畳目1目が細くなっていることを示すものである。
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写真10 「上前」の縁と畳目の状態は、本来の畳目と比較してみると、縁に沿った畳目は、 畳目1目より細くなって、畳目1目を現していない。縁の寸ぽも1寸弱で制作したもので、1寸を取ればなおさら畳目に縁は被さり、縁に沿った畳1目は小さくなる。 | 写真11 「下前」の縁と畳目の状態は、本来の畳目と比較してみると、縁に沿った畳目は、 畳目1目より細くなって、畳目1目を現していない。縁の寸ぽも1寸弱で制作したもので、1寸を取ればなおさら畳目に縁は被さり、縁に沿った畳1目は小さくなる。 ※写真の比較している畳の小目部分は、畳表を決めた位置を示すものではない。縁に沿った畳目1目の狭くなった部分を例示したものである。 18td> |
縁内畳目64目は、実際に縁内64目が存在していない。64目と1目より細い2目で構成されていることになる。
この実証から言っても、藤本氏の京間畳縁内64目は、
茶の湯の畳としては適さないといえることが実証された。原因は基本となる畳目が京間で68目とし、縁内64目にしたところにあり、畳1目が細く設定されたことに原因がある。
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写真12 | 写真13 |
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