◎ 2019年 誤った伝承



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1. 京間の畳目数のこと 2019/7/7・7/31・8/18・8/24  

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 1. 京間の畳目数のこと 2019/7/7・8/18・8/24 


 書籍代1巻(初版)の目次「48」(HPでは2012年「茶の諸々話15. 円能斎時代の畳に換算して、 本来の台子の据える位置を定量的明確に!!」)で記述した。その後、京間の畳目数について、深く研究してみると、現代の京間の誤った畳目数がなぜ生じたかが判明した。
 裏千家の「なごみ平成30年」の春に畳屋の宣伝のなかで書いた文章に疑問を感じ、調べることとなった。
現在、京都のF畳屋は、畳の縁内には、64の畳目が正式と言って、 各流派の家元へも縁内64目の畳を収め、 他の畳屋へもそれに追従し、あたかも昔から京畳は縁内64目が正式であるかのように、巷では推し進められているのが現状である。
 しかしながら、一部の畳屋の中には、畳表を床に張り付け縁をつける時、畳目が縁と微妙に合わない点があることに疑問を持っている畳屋が少なからずいることは現実である。
 それを感じながらも、京畳といえば、茶の湯に関係のない一般のひとたちには畳目は生活に支障を作るわけでもないので、 6尺3寸×3尺1寸5分でさえすれば世に受け入れられる ので、誰も疑問に思わないで、そのまま時代が経過してきた。

 畳表は長いイグサを1本、1本並べて織り込んで作られるが、西暦1500年中期頃、備後地方の長谷川右衛門(1532年〜1557年)が中継ぎ表を考案した。 中継ぎ表は、短いイグサを畳の中央で織り込み畳左右の部分は異なったイグサで織り込む手法で、技術的に織り込む手間と難しさがあるが、 イグサの太い部分が使われるため、高級な畳表となる。現在では、その技術を持つものはわずかといわれている。

しかしながら、 「中継ぎ畳表」は、手間がかかり高級といわれるが、畳表を見た限りでは畳表の中央に二本の線が入り、縞状の模様ができ、 畳表の無垢な表面から言えば、縞状の模様は邪魔にもなる。一部の人たちから言えば、縞状が「中継ぎ畳表」の象徴であり、珍重する人もいる。
 ただ、短いイグサの利用価値を高めた中継ぎの手法は、手間がかかり、 その分だけ高価となるために、高級な畳表として、市場では認識されている。
 通常の畳表の畳織機は手織りで16世紀には普及し、江戸期では庶民の間にも畳は普及した。戦後になると自動機械織が始まることになるが、 これによって、畳目の数が従来とは異なった畳目の畳表が生産されるようになった。

 畳目について理解するには、畳縁のことを知っていなければならない。また、部屋に畳を敷きつめる畳のことを知っていなければならない。 ほとんどの建築業界では、建築が完了した時に最後の 工程として、畳屋が部屋の寸法を計り、それに合わせて畳を作成し、畳を納めている。このことが、建築の工程上の誤りといってもよい。 厳密な四畳半のサイズの正しい茶室を作るには、基礎となる畳を正しく作り、それに合わせて柱位置を決めて部屋を作らなければ、 正しい四畳半の部屋はできない。

 しかしながら、建築の合理的、経済的工程では、 畳屋が最後に入り、部屋のひずみなどを畳で合わせる工法を用いているため、畳そのものにひずみが出ているのが現状である。
 ハウスメーカーの工場生産では、木取組み立てが正確に作られていたとしても、現場で組み立てる時には、わずかなひずみができ、 真四角な4畳半の部屋はまずできない。真四角な4畳半の部屋を作るならば、畳が正しく作られ、それに合わせて正しく柱位置を決めて作る工法しかできない。
 私宅の茶室4畳半を作った時には、4畳半より大きな床を構成し、床に、四隅が90度、対角線が90度となるような1辺が9.45尺の真四角な墨を打ち、 畳位置を決め、その後、柱を四隅に建てた。これによって畳は部屋のどこの位置でも入るようにした。しかしながら、現状の畳表自体が、 畳目と畳縁が正しくないので、畳のサイズすべてが正しいけれども、畳目のことを考えれば、理想の畳が私宅には現状では入ってはいない。

 現在の畳は、畳縁と畳目が茶の湯の畳を意識しないで畳表自動織機で作られた畳表のために、畳目の山と両方の畳縁の端が合っているものがない。
 畳職人の世界では、一方を畳目の山の縁にまっすぐに合わせ、それを「上前(うわまえ)」、片方の畳縁をひずんだ畳に縁を合わせて(下前(したまえ)」と称し、 縁がその畳目の山の縁に真直ぐな上前の状態を「目乗り(めのり)」と称しているが、各畳店微妙に個人差があるものの、若干畳目の谷に縁が覆いかぶさっている状態である。これは畳縁が畳目の谷底に正しく沿っていないが、職人の世界で当然の畳縁の出来栄えとして認識されている。
 建築上困難ではあるが、正しい寸法の部屋が作られ、正しい寸法の畳が作られ、畳目の割り付けが正しければ、このような職人用語は生まれなかったであろう。 又、畳の両縁に畳目をぴったりと合わせることは、戦後の畳目が狭い自動畳表織機が出現しなかったならば、畳縁と畳目の割り付けが合いやすかった戦前の畳表織機の畳目(縁内畳目60目)ならば、 可能であったと思われる。  

 
 茶の湯にとって、畳縁、畳目は重要な要素である。それを知るために、畳の「上前」、「下前」、「目乗り」の意味と 不正確な部屋に合わせた畳に縁を縫い付ける際の「下前」側の現代のコンピュータによる自動設定の写真などを掲載してみよう。

畳の「上前」、「下前」、「目乗り」と畳縁の「下前」部分の縫い付け機械の表示

 図1 
 畳表に畳縁を縫い付ける際の詳細図である。
右端は「上前」部分
 :畳縁をそのまま畳目に合わせるために 畳目に縁はぴったりと合った仕上げとなる「上前」部分である。
 また、本来は、畳縁を畳表の畳目にのせること自体を「目乗り」と称するが、職人によっては 縁を畳目に合わせる位置が感性によって異なっている。
 これは厳密にいえば、畳目に縁がきちんと 定まらないことから生まれた職人用語とも考えられる。つまり、畳縁を「上前」で畳目に合わせても、畳のひずみから「下前」で畳目に合わせられないために生まれた職人用語とも考えられる。
左端は「下前」部分
 :畳表を畳の幅サイズに切り落とした後、右と同じ縁幅の縁を縫い付けるため、畳縁の線は畳目にぴたりとは合わない。畳目に少し被る部分があり、これを畳職人は「目乗り」と称して、 畳の縁付けの仕上げをしている。畳の縁は左右同じ縁で、見た目には問題ないが、畳目には縁は合わない。また、畳床が部屋のひずみに合わせられて作られているので、 畳床の線は畳二分の一の位置、又は畳四分の一毎に直線が修正されて畳床が作られているので、畳目と縁は場所によって、「目乗り」の幅も異なっている。

 写真1 
 畳を部屋に合わせるためのコンピューターによるいびつな畳の縁の縫い付け写真。この場合の写真は、「下前」部分が畳の右端部分である。
 「下前」部分の縁を縫い付ける際の写真。写真左側の畳の端は、部屋に合わせた場合の畳のいびつな端の部分の拡大写真。  


 
 次に、畳表の「小目」、畳目との違いと畳表の縁幅を決める際の道具について記載してみよう。

畳表の「小目」、畳目と縁幅を決める際の道具

 写真2 畳表の両端には、「小目」という小さい畳目が畳表の両端に綴じ目として作成されている。
 畳表の「小目」の外側を切り落とし、畳表の端に畳縁に腰が付くように紙を合わせて縫い付ける。縫い付ける針の位置は、 中村式京間(両端の「小目」に挟まれる畳目は65目)では、一例としてあげれば、畳縁の上に専用の紙を乗せ、 一緒に端から0.925寸の位置が針目となるように縫い付ける。折り返した時、畳縁と紙の厚さを合わせて0.05寸程であるため、 0.975寸の縁幅に織り込みの遊びを加えれば、約1寸近い縁幅となる。

 写真3 畳表に畳縁を縫い付ける時、昔から用いられている縁幅を決める道具で、「けびき」、「わたり」、「こざる」などと呼ばれている。 この「けびき」は京都の畳屋でよく使われている道具である。 
 この「けびき」には二つのサイズができるように両面に切り込みがある。片面は1寸、片面は0.95寸で、現在の畳職人は、0.95寸の寸法を用いるのが恒例となっていて、 1寸の縁寸法を作り出す0.975寸法の片側は用いることはほとんどない。
 このことは、畳表の自動織機が生まれることによって、畳目が狭くなったので、1寸の寸法のほうを用いなくなったと考えられる。 しかしながら、現在でも、1寸の寸法が道具として存在していることは、畳縁幅が1寸であったことを証明している。又、本来の畳目も縁幅1寸に準じた畳目であったことを意味している。 このことから考えても、畳1目は、0.049寸(1.49p)で畳縁幅は、畳目2目と考えられる。

 写真4 畳縁幅を決める道具で、畳表の自動機械織が生まれてから畳目が狭くなったため、 畳表縁の幅が自由にに変えられる道具。
 職人用語では、「飛行機」、「とんぼ」ともいわれている道具である。  


 畳表の畳目が、畳縁との関係でどのようにして決まってくるかを説明したが、 所詮、畳目が自動畳表織機で畳目が本来の畳目より狭くなったので、両端とも畳縁が畳目に合わない。
 つまり、「目乗り」や「下前」で畳目が時には半分になって、 畳目が片縁(「上前」)では畳目が合わせられても、片方の畳縁「下前」では畳目は合わせられなく、両端の畳縁に畳目が合わないことが判明する。

 畳の「上前」、「下前」、「目乗り」と縁幅と縁幅を決める道具については、簡略に記述したが、問題は、畳縁を畳表につける位置である。この位置については、 畳職人を養成する学校では、講義と実技で指導をしている。

 
 次に畳に縁をつける際の位置について、記述してみよう。、

畳表の縁を畳床に取り付ける際の位置

 写真5
 写真は、畳職人養成の学校で用いている教科書である。 図中の赤楕円中の数値は、6分5厘〜7分時されているが、現在の一般の畳職人は、畳表の端から6分5厘の位置で畳縁と重ねた紙を 置いて縫い付けている。
 しかしながら、畳縁が時代と共に、細くなってきており、江戸間の畳では、畳縁が2cm程の幅の畳縁が現実に多く見られる。 京間畳でも、中京間畳(6尺×3尺)でも、1寸の畳縁はは少なく、1寸弱、又は0.95寸、で畳縁の幅が仕上げられた畳が多い。茶の湯畳は1寸を厳密に遵守してほしいものです。

 写真6
 写真は畳縁を畳表の端から6分5厘の位置に縁を置き、畳床に縫い付けた後、けびき」、「わたり」、「こざる」などと呼ばれている道具で、 折り返す位置に印をつけている写真である。
 印をつけたところを折り目として、縁を折り返す。その時の縁が1寸になれば理想であるが、畳表の端から6分5厘の控えを用いれば、1寸弱の0.95寸程度が縁幅になる。 もし、7分を畳表の縁から控えて畳縁を置けば、1寸の畳縁になる。多くの畳職人が現実に用いているのは、畳表の端から6分5厘の控えを用いて縁をつけているのが現状である。  


 
 ここで、茶の湯にとって重要な要素である畳目の本来の畳目数を分析し、割り出してみよう。

 茶の湯の原点である台子点前では、南方録によれば台子は京畳6尺3寸の畳の端から4寸5分控えた位置に設置すると記述しており、台子は円能斎当時まで、 畳の端から4寸5分控えた位置に設置されていたと考えられる。
 その根拠となる理由は、1923年(大正12年)に発表した円能斎の「大円之真」の点前である。
 円能斎好みの「大円盆」は、直径1尺1寸5分(34.8p) で、居前線から台子手前端までの距離が、1尺1寸5分(34.8p)以上が必要となる。その為には、南方録の記述による畳の端から4寸5分控えた位置に設置した場合は、 居前線と台子手前端までの距離は1尺3寸(39.4p)あり、円能斎好みの大円盆を置いて点前をしても、台子の配置が円能斎好みの大円盆大きさで点前をしても不自然はなく、 台子と居前の間に置かれた円能斎好みの大円盆は、点前に合致している。このことから見ても、円能斎時代の台子の設置は、 南方録の記述に準じて台子は、畳端から4寸5分控えた位置に設置されていたといえる。言い換えれば、居前線から1尺3寸向こうに台子が設置されていたともいえる。
 円能斎によって茶道が女学校に取り入れられるようになった。男子中心の茶道が、女子に取り入れられると、当時の女子の体の大きさから台子の位置が遠く、 女子にとって点前の所作の不都合が生じ、台子の設置位置に変化が起きたと考えられる。

円能斎時代から淡々斎時代にかけての台子の設置位置の変化

 図2
 円能斎時代の台子の設置位置は、円能斎好みの大円盆の位置から見て、南方録の記述による畳端から4寸5分控えた位置に、台子が設置されていたと考えられる。
 その理由は、円能斎好みの大円盆が、台子と居前の間に置くことができ、点前をするにしても不自然な空間は空かないで、理想の位置に円能斎好みの大円盆が置くことができるからである。

 図3
 円能斎によって女学校に茶道教育が取り入れられて、茶道も女子にとって所作のやりやすい道具配置の変化が起こったと考えられる。 台子のすえる位置も、居前線から近くに変化した。そのために、大円盆を置いての点前は、居前線をはみ出てしまい、点前の所作と位置の決定に不都合が生じるようになった。 淡々斎になって、円能斎好みの大円盆を一回り小さくし、台子と居前線の間に大円盆が収まる大きさに変化した。その大円盆が淡々斎好みの大円盆である。
 図中に赤の楕円で囲み示した貴人畳の縁から畳目18目の位置に台子が据えられるようになった。 淡々斎好みの大円盆は、居前線と台子の間に収まるように作られ、その淡々斎好みの大円盆は、畳18目に畳縁部分(2目)を加えた畳目20目の1尺1寸5分である。
 1尺1寸5分(30p)に畳目20目が存在することになるので、畳目1目は約1.5pとなるのである。


 円能斎時代に女学校に茶道が取り入れられ、台子と居前の距離も狭められ、 貴人畳の縁から18目に据えられた。それに合わせた淡々斎好みの盆は、畳縁2目を加え、畳目20目の大きさの大円盆となった。 このことによって、円能斎時代の畳目は約1.5pといえる。厳密にいえば、 3尺1寸5分の幅に64目(縁内60目)の畳目が存在することになるので、畳目1目は0.492寸(1.49p)となる。

図2、図3より円能斎時代の畳表の畳目を算出

 図4 
 円能斎時代の畳の目数は、台子と居前線の間に置く淡々斎好みの大円盆の大きさの関係から割り出すことができる。 つまり、南方録の記述の台子の位置が、女子の茶道の普及によって台子の位置が居前に近づき、貴人畳の縁から台子手前の端まで畳目18目の位置と決められた台子位置から推測できる。
 当時の台子の設置は、南方録の記述に即していることが円能斎好みの大円盆からも推測できる。 図2に明記したように、南方録の記述の通り畳の端から4寸5分控えた位置に台子を設置した時、居前線と台子までの距離は1尺3寸の余地ができ、 円能斎好みの大円盆の1尺1寸5分(34.08p)の点前にとって理想的な余地である。
 しかしながら、女学校に茶道を取り入れることに成功した円能斎は、 男子より小柄な女子にお点前が女子向きになるように、台子の位置を近づけたとみることができる。
 台子の位置は、淡々斎時代では、図3の赤の楕円で囲み示した貴人畳の縁から畳目18目の位置に台子が据えられるようになった点である。この位置の台子では、1尺1寸5分の円能斎好みの盆では、点前の余地もなく、 使用することはできない。
 このことから、淡々斎好みの大円盆が生まれたといえる。
 図3の赤の楕円で囲み示した貴人畳の縁から台子手前の端まで畳目18目の位置に淡々斎は大円盆を置いた時、 居前線と台子の間に収まる大円盆を考案したと考えられる。

 つまり、畳18目に縁幅1寸を加えた直径の大円盆である。 畳目で言えば、畳目18目に縁幅1寸(畳目で2目に当たる)を加えた畳目20目に当たる淡々斎好みの大円盆の直径である。畳目20目が淡々斎好みの大円盆の大きさで、1尺であった。 このことから、畳目1目が1.5pであることが割り出される。  



 

 しかしながら、畳表の自動織機が制作されたころから、本来の畳表の畳目数が変革した。これによって、伝統的な茶道の道具配置が現在の畳目数では正しく配置ができなくなった。

 この畳目の変化を明確にするために、畳表の自動織機の発明者の次男の中村氏、現在の中村機械の社長の山園氏、京都のH畳店経営者などからたびたび取材のための話をした。

 戦前から終戦直後までは、手作りの畳表織機で畳表制作してきた。その中で、岡山の備後畳表の生産者である中村本治氏は、終戦後の経済が復興していく中で、 畳表の自動織機の研究をし、畳表の自動織機を完成した。昭和25年1月中村機械製作所を開業し、初代社長として中村本治氏は畳表の機械製造に乗り出した。 その後、経済成長と共に各地に畳表の機械製造の会社が生まれた。特に昭和30年初期には多くの畳表の会社が出現したが、現在(令和1年)では、畳表の自動織機会社数も激減した。 中村機械製作所も平成4年3月に長男の中村賢二氏が就任し、製造が続けられたが、後継ぎと畳表の需要の激変から、平成28年5月より熊本のイグサ生産者の山園誠司しが社長に就任し、 現在も畳表の生産を続けられている。 中村賢二氏が退任した後も弟の中村邦徳氏が畳表の助言者として社長の山園誠司を賛助している。

 現在(令和1年)、山園誠司氏によれば「中村式標準本間(京間)は、機械ができた当時から、全体66目(3尺1寸5分)、 両縁に2目ずつ入って縁内62目と思って頂いてよいと思います。」と述べている。

 また、京都の某畳屋によれば、「一般の京畳(幅3尺1寸5分)なら、縁幅0.95寸、縁内の畳目は62目と3分の2目であるが、畳目の3分の1が合わない。 茶道をしない限り、合わないのはやむを得ないと考えています」と述べている。

 中村式京畳で、縁内62目で、厳密にいえば、縁内の畳目は62目と3分の一目となったのは、そもそも、 中村式機械を作り出した畳表は、江戸間畳5尺8寸×2尺9寸5分の畳表を制作を主として制作していた会社であった。その江戸間の畳表を京間のサイズにするために、 畳表を増やして作られたのが、中村式京間畳表である。 そのことが原因で、京間畳での畳目は、畳縁の内側では畳目が合わなくなり、畳目は62目と3分の一目となったといえる。
 それ故に、中村式京畳は、畳目から言えば、茶の湯の畳としては、用いることはできないといえる。

 中村邦徳氏の話によれば、終戦直後父親の仕事場で兄の中村賢二氏と共に中村式機械の製造を目にしたといわれる。中村邦徳氏は、 今(令和1年)から30年ほど前に、裏千家の京都の畳屋の藤本氏 が訪れ、京畳の縁内の畳目を64目になるように機械を制作してほしいとの依頼を受け、縁内64目になる畳表自動織機を藤本畳店に納入し、その機械は現在は熊本にあり、 藤本畳店の京畳は縁内64目で販売され、家元にも納入されている。一方、中村式京畳は、縁内62目となるように畳表が制作され、販売され、 一般に京畳として売られ、畳表の主流となっている(上敷の京畳サイズの畳目は目が細かく、 京畳表の畳目とは異なっていることに注意)。

本来の京畳の正しい畳目

中村式の京畳の畳目62目は、茶の湯に関して意識して作られてはいない(中村氏、山園氏談)。ただ京畳の畳表を自動織機の都合上、62目として制作されたものであるので、 中村式京畳は本来の茶の湯に用いる京間畳目ではない

茶の湯に用いる京畳が縁内64目として、茶の湯の畳表用として依頼した藤本氏にその根拠を尋ねたら、家元の業躰たちの話から京間縁内は64目としたとのことであり、業躰の64目という根拠は不明で、 ただ業躰の話からそう思ったとのことであった。「業躰」が言ったということで、64目の正当性を主張したようにも受け取れた。 また藤本氏は、独自のホームページ上で、大和六十余州であるから、利休時代から畳は64目となっていると言及していたので、藤本氏の取材の中で、「大和六十余州は大和六十四州ではない」と言ったら、 64余州と畳目64は語呂合わせとも言及した。誠に無責任な畳目64の主張であった。 この点で、藤本氏の主張する畳目64の正当性は崩れることになった

 ここで、中村式の京畳の畳目62目と藤本氏の京畳64目とを比較し、その二つの畳表の畳目が、茶の湯に用いるには問題がある点について記述してみよう。

中村式京畳62目と中村式京間64目(藤本氏主張)の比較

 写真7 
 写真の上の畳片は中村式京畳の縁内62目の畳表。畳縁の幅は0.95寸で縁がつけられている。  
 写真の下の畳片は藤本氏の主張する畳表縁内64目(3尺1寸5分の畳幅では畳目68目)。畳縁の幅は0.95寸で縁がつけられている。

 中村式京畳の縁内62目も、藤本氏の縁内64目も。畳縁が畳目の谷を覆いかぶさるように縁が付き、畳目が厳密に表現できない。  



 畳縁が0.95寸で縫われているが、本来は1寸である。畳職人の畳縁を縫う時に用いる道具は、 0.95寸と1寸の畳縁を決めるサイズのものが備わっているが、 現在では、1寸のサイズのものは畳職人はほとんど用いることがなく、0.95寸を用いている。このことは、機械織による畳表の目幅が細くなってしまったことから、 通常の縁を決める時は0.95寸を用いるようになり、本来の1寸の畳幅を決める伝統的な畳縁は、道具の中で現在でも生き続けているが、現実には、1寸幅の縁を職人の世界では用いろことはほとんどなく、 縁幅1寸のことも忘れられようとしているのが現実である。
また出来上がった畳縁は、畳目の谷の部分にぴったりと合わせることができないので、 畳目の一部に畳縁が覆いかぶさることになる。職人の世界では、畳目に覆いかぶさる一部を「目乗り」と称して、畳目が明確に表現できないことを容認しているのが畳職人の世界である。
 それ故に、中村式京畳も藤本氏の主張する縁内64目も、畳目が「目乗り」を許すことで、正確な畳目が表されているとはいいがたい。又、縁内の畳目を正確に、62目、あるいは64目で表せても、 1寸幅の縁は、1寸ではなく、1寸より狭い幅で納めてつじつまを合わせていることになる。

 茶の湯の流派の一部の家元に収めている藤本氏に主張する畳に矛盾があることを実証するために、京間畳表68目用の畳表で、縁内64目の畳目の畳を実際に制作してみた。

藤本氏主張の京間畳縁内64目の畳を制作した結果は正確な64目とはいえない

 写真8 3尺1寸5分の京間畳に畳表畳目68目の畳表を取り付け、畳縁内64目となる畳   

 写真9 畳縁に沿う畳目は、縁が畳目に被さり、畳目1目の姿を現していない。両畳縁とも同じで、縁内64目とは言えない。   



 次の写真は、畳の両縁部分の畳目1目が細くなっていることを示すものである。
 一般の人、茶の湯の人でも、ただ点前のみに心を入れている人から見れば、畳目の大きさは、茶の点前事態に影響はないと考え、たいしたことではないと思われがちである。 茶の湯の畳の本来の厳しい畳目から言えば、茶の点前は、グランドとなる畳、畳目が正確に表現されていなければ、まったく道具の位置の決定も崩れてしまい意味がなくなる。  

 

縁内64目の畳の「上前」、「下前」の「目乗り」を見る写真

 写真10 「上前」の縁と畳目の状態は、本来の畳目と比較してみると、縁に沿った畳目は、 畳目1目より細くなって、畳目1目を現していない。縁の寸ぽも1寸弱で制作したもので、1寸を取ればなおさら畳目に縁は被さり、縁に沿った畳1目は小さくなる。  

 写真11 「下前」の縁と畳目の状態は、本来の畳目と比較してみると、縁に沿った畳目は、 畳目1目より細くなって、畳目1目を現していない。縁の寸ぽも1寸弱で制作したもので、1寸を取ればなおさら畳目に縁は被さり、縁に沿った畳1目は小さくなる。 ※写真の比較している畳の小目部分は、畳表を決めた位置を示すものではない。縁に沿った畳目1目の狭くなった部分を例示したものである。


 縁内畳目64目は、実際に縁内64目が存在していない。64目と1目より細い2目で構成されていることになる。 この実証から言っても、藤本氏の京間畳縁内64目は、 茶の湯の畳としては適さないといえることが実証された。原因は基本となる畳目が京間で68目とし、縁内64目にしたところにあり、畳1目が細く設定されたことに原因がある。

 この畳目に興味深い余談で、定かな記憶ではないけれど、平成5年のころ、長良川の鵜飼い宿の杉山旅館が、鵜飼いの大型船(幅が3m長さ10mほどだったと記憶する)を建造し、 その記念に茶事を船上で行った。その時の正客は、正眼寺大学長谷耕月師で、次客は私で、三客は岐阜の方、亭主は、裏千家直門で、執筆活動で活躍していた黒田宗光氏であった。 大型船で引き連れた二艘小船で料理を作り、優雅な鵜飼い見物をテーマとした茶事であった。その亭主の黒田宗光氏は、 淡交社出版の「茶道の稽古場 役立つ100の知恵」(平成22年3月22日初版)のP35で、「畳目は二目一寸、3センチ」と記述していることも興味深い。  

 

畳縁が畳目二目で、3センチと記述した黒田宗光氏の本

 写真12 
 淡交社出版の「茶道の稽古場 役立つ100の知恵」(平成22年3月22日初版)黒田宗光著  

 写真13 
 淡交社出版の「茶道の稽古場 役立つ100の知恵」(平成22年3月22日初版)黒田宗光著P35の記述は、 茶道の昔からの伝承の中で、点前の中でも生き続けてきたことである。

 

以上のことを結論的にいえば次のようなことである。

 @ 中村式京畳は、通常の京間に入れる畳としては問題ない。
    茶の湯の畳として畳目を考慮に入れないで、作られているので、茶の湯の畳としては適応しない。

 A 藤本氏の京間畳の縁内64目の主張の根拠は、藤本氏独断の根拠「大和64州・・・(正しくは大和60余州)から畳目64目を関
    連付けたり、 業躰の意見に準じたりした」で学問的意味がない。又、実際に藤本氏の畳目で制作しても、縁際の畳目に縁が被
    るので、両縁際の畳目は細くなり、縁内64目はすべて畳目として正確に表れない。
    縁自体が1寸より狭く、1寸にすれば縁際の畳目はさらに細くなる。
    たとえ一部の家元に畳を入れて是認されていても、間違った縁内畳目64目では、茶の湯の畳に適しているとは言えない。
    つまり、藤本氏の主張の縁内畳目64目の根拠はなく、縁内64目はすべて畳目が正しくあらわされない。 3尺1寸5分に畳目
    68目を乗せ、縁内64目にしたところに数値的な適合性が欠けてしまい、茶の湯の畳として成り立たない。


 B 京間畳の据え方は、円能斎時代までは南方録の記述に沿った台子の据え方であったことは、円能斎好みの大円盆の大きさか
    ら実証できる。
    女学校に茶の湯が取り入れられ、台子が居前線に近づき、円能斎好みの大円盆では点前ができなくなり、淡々斎は、台子と居
    前線の間に置くことができる淡々斎好みの大円盆を考案した。  その淡々斎好みの大円盆が1尺で、畳目に換算すると20目と
    なるため、畳目1目が0.492寸(1.49p)で、約1.5cmと算出することができ、円能斎時代の畳目1目が判明した。  
    これにより、京間幅3尺1寸5分には、64目の畳目が乗り、両縁に二目ずつ隠れるので、縁内60目が畳目が決定する。


 余談ではあるが、畳目の64目の根拠として、何か意味はないかと64の数値の根拠をいろいろ調べてみると、易の世界では、伏義が八卦を作り、 神農がそれを重ねて64卦としたといわれる。つまり、陰陽二種の爻(こう)を組み合わせた八卦がある。卦は爻(こう)と呼ばれる記号を3つ組み合わた三爻によりできたものであり、 八卦を二つずつ配合して64卦を生ずると言う。その中には、世の中の森羅万象すべてが詰まっているといわれる。
 畳目に結び付ける意図はないが、想像を高めると、畳一枚に世の中の森羅万象すべて表現したと思えば、 畳に64の目が乗っており、縁内60目となると考えるのは、思い過ごしの想像の世界で、この結び付けに新しい発見があればと願うロマンに楽しむのもよいであろう。



  


 


 
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第1部(2012年)茶道における誤った伝承
Part 1 (2012 year) "wrong tradition in the tea ceremony".
第1部(2012年)茶道における諸々話
Part 1 (2012 year) "all kinds of matters talk in the tea ceremony".
第1部(2012年)茶道奥秘台子12段の話
Part 1 (2012 year) "story of 12 steps of tea ceremony hidden mysteries four-pillared shelves(DAISU).
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第2部(2013年)茶道における誤った伝承
Part 1 (2012 year) "wrong tradition in the tea ceremony".
第2部(2013年)茶道における諸々話
Part 2 (2013 year) "all kinds of matters talk in the tea ceremony".
第2部(2013年)茶道奥秘台子12段の話
Part 2 (2013 year) "story of 12 steps of tea ceremony hidden mysteries four-pillared shelves(DAISU).
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第3部(2014年)茶道における誤った伝承
Paret3(2014)"wrong tradition in the tea ceremony"
第3部(2014年)茶道における諸々話
Paret3(2014)"All kinds of matters talk in the tea ceremony"
第3部(2014年)茶道奥秘台子12段の話
Part 3 (2014 year) "story of 12 steps of tea ceremony hidden mysteries four-pillared shelves(DAISU).
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Paret4(2015)"All kinds of matters talk in the tea ceremony"
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第5部(2016年)茶道における誤った伝承
Paret5(2016)"wrong tradition in the tea ceremony"
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Part5 (2016 year) "story of 12 steps of tea ceremony hidden mysteries four-pillared shelves(DAISU).
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